
雑喉場(ざこば)は、江戸時代から天満青物市、堂島米市とともに三大市と言われ、
とりわけ「大阪の朝は雑喉場から」といわれる程、活気がある魚市場でありました。
安永元年問屋株が免許され、独占的地位を認められ、
昭和六年十一月に大阪中央卸売市場に吸収合併される迄、活況を呈しました。
明治大正期の雑喉場商人は、いつも織紺の着物を着る習慣があり、
早朝数刻のあきないで、いきのいい羽振をきかせていたものでした。
その行動は派手で、花柳界も演劇界もそのバックで栄えたわけで、
中央市場のゑんどう寿司は、明治末期から雑喉場に生まれ、
雑喉場商人や船場の料理屋の旦那衆が、仕入れ帰りに朝ご飯を食べた寿司屋でありました。
「大阪の握り寿司は、天保十年頃には相当広まっていたらしい。
明治中期には握り寿司はうさって、箱寿司に戻ってしまった。
ゑんどう寿司は、江戸の握りとは違って、上方独特の味があり、主人はつかみ寿司だと言っている。
その味は少しあまく、ごはん温かく少しやわらけめでまったりとした上方の味を出している。
今では江戸風のにぎり寿司が一般化してしまい、
寿司の味は大阪でも江戸風になっているが、ゑんどう寿司だけは上方の味を守っているのが嬉しい。」
大阪大学名誉教授
宮本 又次先生のお言葉(“一隅を照らす”より抜粋)